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麗らかな日曜の午後に #3 [日記]

 今日は晴れ。青空に日差しは柔らかいが、空気は冷たく爽やか。暖かさを取り戻しつつ有る季節は微妙である。
TVを点けるとTBSでは時事放談がやっていて、今週も原発が話題になっていた。浜矩子が「原発と沖縄の基地問題は似ている」という意見に納得。首都圏に住む人間としては電力の恩恵を十二分に受けてはいるが、海辺の自治体にだけリスクを押し付けることは矢張り間違いだろう。現状は悪いまま時間だけが過ぎ、発電所の現場では収拾できないほどの事態が起きているのかもしれない、と思うと不安が募った。
 午後は小泉武夫の本をダラっと読書。この所は悲しい話が多かったが、漸くに気持ちが落ち着いてきて本を読む気になった。午後にはパソコンを立ち上げてIPATで馬券を買うが一枚も当たらず。高松宮記念はキンシャサノキセキが連覇で、なんだかんだで関東馬と社台のワンツースリー。そののちまた読書、今度は森博嗣。久々に彼の日記を読むが、面白かった。
 スーパーに晩飯を買いに行くと、やはり野菜と魚介類の品揃えが悪く、納豆・牛乳・ヨーグルトは売り切れで、電力不足・放射能汚染の影響は深刻だと思った。
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停電の夜に [日記]

 今日の夜は計画停電。気温が下がっている時間帯に電力が供給されていないことの不便さも然ることながら、やはり耐え難いのが暗闇の恐怖。この停電のさなか首都圏にも余震があったのだが、視界がきかないせいか揺れも倍増しているような感覚だった。これは自分が揺れているのか、地震で周りが揺れているのかが全く判断できないせいもあるのだろうが、目は冴えていて寝ることも出来なくて本当に困った。
 当然TVもつかないわけだが、この間はずっとTBSラジオを聞いていた。懐かしい音楽やら、DJがとりあえず話し続けてくれるという安心感、そして地震の情報もその都度教えてくれるわけで、こんなに有り難いメディアは存在しない。今年はTVは地デジ元年とはいうものの、乾電池では動かないわけで、ラジオに最高の賛辞を送る日日平安の倉田さんの言葉が漸く理解できたような気がする。
 対してインターネットは本当に良し悪し、というか良し悪し悪し悪しぐらいだろうか。この大災害の間のデマゴギーやインチキ情報と、正しい情報の違いを見極めるのには苦心する、というのが正直なところだ。特に酷いのが原発関連で、ここぞとばかりに反対派も賛成派も情報を雨霰と流し続ける。そんな情報に一番影響を受けるのが庶民なわけで、ガイガーカウンターやらヨウ素剤が売り切れる始末。大体医者でも科学者でもない庶民が、そんなものを買ってどうすんの?という気がするのだが、まぁ被災地の支援物資として買ったのならいいだろう。ただ、今もっとも悲惨な被災地からずっと遠い庶民が自分の為に買ったのであればパニクりすぎだと思う。
 そして、俺自身も普通じゃないのはその通りだ、↓の画像を見て本当にドキッとした。タイプミスなんだろうけど、終末じゃ遅すぎるよマジに。
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東北地方太平洋沖地震 [日記]

 地震から1日が過ぎました。
TVに映し出される崩壊した家屋や分断された道路、救助を待つ生存者の方々を見るたびに胸が痛みます。ただただ、心配したり悲しんだりすることしかできませんが、罹災者の皆さん、頑張ってください。
 被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた皆様に心よりお悔やみ申し上げます。
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ハイパー・ヒステリック・ソサエティ [日記]

 昨夕にTVを点けると、大相撲の八百長問題が放送されていて思わず電源を切ってしまった。大体が相撲というものは近代スポーツとは異なる別次元の発祥。そもそも相撲に明確で厳密なルールは存在しないわけだから、スポーツと同じような考え方で相撲を観るというのはナンセンスだし、ワイドショーを賑わしている相撲記者クラブ会友とかいう人がシャアシャアと「知りませんでした」と言っている時点で、ジャーナリズムとは無縁の社会で大相撲という興行があったということだろう。そもそもトレーニングを積んでないド素人がプロの力士になれるはずもなく、幕内力士の打ち噛ましは衝撃が2トンもあるらしいので、その取組は間違いなく超人のなせる業だ。
 だから、昨今の偏向報道は俺はよく理解できない。「公益法人の資格なし!!!」とか言っている人は相撲ファンではないだろうし、そういう人間の意見を聞いて相撲が改善されるのかどうか?と考えると、どうだろう?
俺としては本当のファンの声に耳を傾けて、改革すべきところはそうすべきだと思う。まぁ、今の内閣が高齢者が安心して暮らせる社会を本当に目指しているのであれば、ここで速やかに調停が出来れば高齢者の内閣指示率あがるのになぁ、残念。
 この辺は日本という国全体が著しくバランスを欠いている状態にあるのではないか、とうことで俺はこの状態をハイパー・ヒステリック・ソサエティと名づけてみた。問題の善悪とか成否を、二元的にことさらに大声でまくし立てる連中が勝ち組みたいな風潮はとてもじゃないが正常とは思えない。そんなに超イライラしていなくてもいいんじゃないの?、何でも解明できればハッピーなんかなぁ、どうでしょう。
 あ、話は変わるが、そう言えば日本語そのものもおかしな使われ方をするようになっているのも気になるわけで、これもハイパー・ヒステリック・ソサエティの特徴的なところだと思う。さきほど述べた「勝ち組」なんて言葉は、時代錯誤な連中がいるという揶揄だったはずだが、今ではその道のチャンピオンとかセレブみたいな誤用がまかり通っていて変な溜息が出てしまうのである。
 俺は大相撲の熱烈なファンというわけではない。ただ、そろそろどこかで手打ちにするような、例えば大岡越前とか水戸黄門みたいに上手いこと事態を収拾するような人が出て来て欲しいなと切に希望している次第である。

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No Horse Racing, No Life. [日記]

 昨日は朝から雪。テルテル坊主は効果ゼロ(笑)、まぁ仕方がない。三連休の中日にTVを見る気持ちにもならなかったので、思い立って東京競馬場に行くことにした。
真冬に府中に行くなんてのは久しぶりであるが、雪の降りしきる中、競馬場に行くのも初めてである。
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1Rが終わった頃に到着。やはり寒かった。天気と番組の問題もあるだろうが、この何とも言えないわびしい佇まいというか人気のなさに別の味わいもあるというものである。
 折角のライブだからと思い、拠点をパドックにした。G1が開催される当日では人ごみでごった返すものだが、寒さを除けば、閑散としていてゆっくりと馬を見るにはもってこい。しかし小倉競馬場はこんなものではなく、殆ど吹雪いている感じで、中止も時間の問題だろう、と思っていたら11時過ぎには中止のアナウンス。まぁ、馬の脚元の問題もあるが騎手の視界が悪くなるので仕方がないだろう。
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 5Rもパドックに張り付いていたが、粉雪から雨に変わっても相変わらず寒かった。写真は日日平安の倉田さんのPOG馬のモビール。断然人気のロングスローインもスタンバイし、どちらも調子は良さそうだったが、結果は見事にワンツーフィニッシュ。おめでとうございます。
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 午前中は2枚しか馬券が当たらなかったが、昼食にペッパーランチ。美味だった。
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午後はメインレースまで馬券を買ったり競馬場内を散歩したりとダラダラと時間を過ごしていた。肝心のクイーンC、俺のPOG馬ダンスファンタジアは6着と惨敗。発馬直後と3コーナーで馬に寄られ、道中は揉まれっぱなし。直線では前が壁になり、ようやく外に出して追い出すも伸びないという最悪の結果。周囲のファンのため息が聞こえてきたが、勝敗こそは競馬の日常の風景。馬にとってはいい経験になっただろう、この失敗を糧にクラシックで良い結果を出して欲しいものだと俺は思った。
 結局この日の所持金は券売機に全てすいこまれ、身も心も懐も寒いままオケラ街道をトボトボと帰ったが、久々に興奮した1日だった。
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『豊饒の海』に至るまで [日記]

 今から約4年前に始まった当ブログだが、漸くにして250回を超えた。何かのメモリアルや区切りがいいとか言うわけではないが、このブログを始めた頃の事をふとしたキッカケで思い出したので、今回はブログ開設に至るまでの流れとか、当時何を考えていたのか、また、タイトルの由来などをまとめておきたいと思う。
 実はブログ自体は2004年の10月に始めていて、当時、俺が使っていたのはSo-netのブログではなかった。また、目的や核となるテーマもないままにダラダラと書いていたため、4つほど記事を作っただけで飽きてしまい、そのまま放置状態。いまもインターネットの片隅のさらに奥の方くらいに記事が残っている筈だが、作者の俺ですら全く見る気がしない。
 年が変わり、夏ごろだったと思うが俺のブログにも何度かコメントをいただいている先輩の倉田和人氏がホームページの日記からブログに移行をした。ブログなんかが登場する前からずっと、自身のホームページで日記や書評やら紀行文、小説なんかをマメに書いていたが、ブログに変えてからもますます精力的に記事を更新しているのを拝見していて、「何かをあきらめずに続ける情熱ってすごいなぁ」と感心、その継続する力に憧れ、もう一度俺もブログを書いてみようと思い直したのである。
 さてブログを一新するにあたり、以下の3点について検討を重ねた。
 1.So-netのブログに変更する
 2.書評や日記、備忘録、競馬予想などのいくつかのテーマに沿って記事を書く
 3.ブログのタイトルは小説の作品名から取る
   ・ブログには誰も使ってない、ユニークなものにする
   ・山本周五郎の作品は除外する

そんなわけで、3.の、肝心なブログのタイトルをどうするか…、当時考えていたのは『TACOの白夜行』『悟浄歎異―TACOの手記―』『陰翳礼賛…TACOブログ』『ねじまきTACOクロニクル』『吾輩はTACOである』などなどで、いま振り返ってもどれも何と言うか、「ひどい」の一言。で、本棚を見遣ると、あの大作家の大作本が目に入り拝借した…とこんな感じである。いまでさえ正直畏れ多いのだが、自分のハンドル名との相性と、様々なテーマを記事にして実り豊かになればなぁとか、そんなことを漠然と想像していた。
 で、記念すべき第一回目のブログ記事は2006年JRAの新設牝馬G1レース、ヴィクトリアマイルの競馬予想からスタート。これが全くの見当違いで馬券は大外れ。ダンスインザムードを切って、何故馬券が当たると考えたのかが今思うとちっとも分からないほどで笑ってしまう。まぁ、そもそも「妄想」なわけだし、若気の至り!?ということでどうかご勘弁いただきたい。
 そして4年もの月日が経ち、そのダンスインザムードの子供のダンスファンタジアがデビュー。危なげ無く2連勝を遂げて、次は暮れの阪神のG1という大舞台が待っているようだ。ただの偶然なのだろうが、ブログを継続することにもそれなりの意義があることが証明されたような気がして嬉しい。
 さて、ここで、年内にブログ300回達成を目指すぞ!と宣言したい。「他にやることあるだろ!」という周囲のツッコミがありそうだが、目標をすべて達成してカッコよく1年を締めました、と言い返せるように必死になって頑張っています、以上。
タグ:豊饒の海
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Rest In Peace(大沢啓二さん) [日記]

 毎週日曜にTBSのサンデーモーニングで「喝!」「天晴れだ!」と叫んでいた、球界のご意見番こと大沢啓二親分が亡くなったそうである。何を隠そう、俺は第三期大沢政権の頃からの日本ハムファイターズファンであり、大沢親分はプロ野球の面白さを俺に教えてくれた恩人であった。当時、俺の実家では読売新聞を取っていて、販促用のチケットか何かでファイターズ戦をもらうことがあり、父親とファイターズ観戦に東京ドームへ通ったものである。
 1993年に大沢親分が三期目のファイターズ監督に就任した頃といえば、パ・リーグは森祇晶率いる西武ライオンズが常勝軍団として君臨していた時代。開幕前の下馬評ではファイターズは最下位が多かったと思うが、ペナントレースを2位と躍進し、王者西武ライオンズを最後まで追い詰めたことを今でも覚えている。
 今でこそ、スーパーエース・ダルビッシュ有を擁する守りのチームカラーが強い日本ハムファイターズ。当時は、はつらつベースボールをモットーとしていて、無駄なバントはしない、とにかく打って勝つ逆転のファイターズという真っ向勝負のスタイル。西崎・武田・金石などの投手陣、ウィンタース・広瀬・田中幸雄の個性あふれる選手たちを率いた大沢親分は、野球の面白さ、カッコ良さを球場で魅せてくれた偉大な野球人だった。
 大沢親分、本当にお疲れ様でした。親分のおかげでファイターズファンになれて俺は幸せです。
 大沢啓二さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
タグ:大沢啓二
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ディケイド オブ 御宿 [日記]

 今日はうだるような暑さの午後だった。こんな日は毎年通い続けている御宿の別荘の山と海を僕は思い出す。もう10年もの間、ヒグラシの鳴き声、ウグイスの囀りを耳にし、爽やかな潮風に体をあてて冷たいビールの喉こしを味わう、ということを繰り返してきた。先週にちょうどその御宿に行き、同行した倉田氏と車中で御宿訪問の歴史を時系列で思い出したものの、毎年複数回は訪れている場所でもあるから、お互いの記憶が曖昧になってしまった。その後ちょっと気になったのでネットのソースをあれこれ探して、御宿訪問の歴史を書き出してみた。

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2001年~2002年
黎明期。TACOは不参加なのでよくは知らないが、暴走別荘では夜な夜な裸族の宴会が催されていたらしい。

2003年5月3~4日
TACO暴走別荘に初宿泊?
他にはニンニンさん・CIBIさん一家、倉田氏、SHABさん、花江さん、匿名さんなど。
ヒシミラクルの春天優勝をラジオで聞く。
焼酎飲みながらバレーの後遺症で、泥酔。他に全く記憶なし。

2004年4月30日~5月2日
ニンニンさん・CIBIさん一家、倉田さん、SHABさん、花江さん、ASAKAさん、匿名さんなど。
GW中に暴走の浜辺で、イングランディーレ春天優勝をラジオで聞く
一日中浜辺でラム酒を飲んでいて消耗。帰りに茂原のレストランで寝ながらウドンを食べる。
帰った記憶がないので、多分倉田氏宅に宿泊。

2005年4月30日~5月1日
参加メンバーの記憶なし。
多分倉田さんとニンニンさん一家はいたはず。
GW中に暴走別荘でスズカマンボ春天優勝をカーラジオで聞いたと思う。

2006年
TACO不参加のはず。

2007年8月19~20日
倉田さん、花江さんと野宿で御宿。

2008年7月18日~19日
倉田さんと野宿で御宿。

2009年7月19~20日
倉田さん、ニンニンさん一家と別荘宿泊。

2010年7月24日~7月25日
ニンニンさん・CIBIさん一家、倉田さんと別荘宿泊。
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#ソースはTACOブログと倉田さんブログ(日日平安)、倉田さん旧ホームページを参考にしました。
ネットで現在閲覧不能なものはウェイバックマシーンを使って遡って参照。

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No Baseball, No Life. [日記]

今日は日本ハムファイターズの東京ドーム開幕戦。ファイターズファン歴20年の俺にとっては、毎年恒例の水道橋詣でなので会社を定時にあがり、一路東京ドームへ。好調の対オリックス戦の予告先発は糸数敬作。制球の好い投手で自滅はないから、序盤の大量失点さえなければ…と思い、一塁側の内野自由席にたどり着くと3イニングス目で1-6で負けていた。敬作だからしょうがないが、結果は4-8で負けてしまった。今晩は中田翔の生ヒットを見られたのが幸いだろうか。今年のファイターズは守護神の武田久が不調で、開幕ダッシュに失敗。前半戦は我慢の試合が続くような気がする…。
 日は過ぎてしまったが、3/22に草野球も開幕した。今年からは俺、倉田さん、PAPAさんの三人の大型移籍で新チームの荻窪ロボスさんに加入した。ここ数年はメンバー不足を無理くりに続けていた草野球だったが、同じ事情を抱えていた荻窪ルチャロボスさんに合流する形になったわけだ。
 1年もボールを握らなかったのだが、諸般の事情で開幕のスターターに指名された。光栄の限りであった。結果は4回3失点と、ブランクの影響を考慮してもまずまずの内容。体力の衰えは感じていたが、感覚は不思議と鈍っていなかったように思う。体力さえ戻れば完投もできそうな感触だった。
 まぁ、見るのもいいがやっぱり野球はしてみるものだ。今までに溜まっていた心の澱がすかっと抜けていくような気がしていて、芝生の草熱れ、埃まみれで白球を追っていた記憶が実感できて幸せであった。
 野球のない生活には張りがない、明日も出来たらドーム詣で!?をしたいものである。

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さらば田町の灯よ [日記]

 昨日で仕事納め、そして10年間勤めていた会社への最後のご奉公も終わった。
短い期間で退職を受け入れてくれた会社には本当に感謝をしていて、急遽送別会を開いてくれた出向先の職場の皆さんにも心からお礼の言葉を申し上げたい。どうもありがとう!!
 で、送別会に来てくれた方には↓をプレゼントとして差し上げた。

丸善オリジナル レザー製ブックマーク レッド 3360-M-RD

丸善オリジナル レザー製ブックマーク レッド 3360-M-RD

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 丸善
  • メディア: Stationery


 正直ダサい贈り物だろうが、丸善といえばフクロウ、フクロウといえばミネルヴァで、ミネルヴァのフクロウは黄昏とともに飛び立つ。最後だからこそ色々と理解できることがあった。そしてここからが僕にとっての新しい生活の始まりだ、本当にワクワクしているのである。
 思えば田町には学生時代、そして社会人になっても通いつめた。通算で7年ほど往来をしていただろう、とても思い出深い場所だ。この町のことをどれくらい知っているのかと振り返ると、ほとんどはここに嘗て、そして今もいる人間にまつわる記憶しかない。
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 学生の時分、ちょうど今頃の時期に、当時の友人たちと東京タワーまで歩いていったことがある。
慶応大学のキャンパスからはとても近くに見えるのだが、実際に歩いていくと意外と遠くて、到着のころには息を切らしたことを思い出した。
 この町とも長きお別れになる。
 さようなら。
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